「人生の羅針盤」
江戸時代の頃のお話であります。
「剣の道」を何とか早く極めたいと考えていたある剣士が、その人生の師である、さるお寺の老僧に次のように尋ねました。
「ご老僧、剣の道というのはどれほど修行すれば極められるものでしょうか?」
「そりゃ一口ではいえぬ。要は心がけ次第じゃ。掃除をするのでもそうじゃろう。遊び半分でやるのと一所懸命やるのとでは当然時間が違うじゃろう。ところで、お主は一体どんな心がけで修業するつもりじゃ?」
「ハイ、とにかく一所懸命頑張って修業をしたいと思います。一所懸命頑張れば何年位かかりましょうか?」
すると老僧は「そうよのう。一所懸命か、それなら多分十年はかかるだろうのう」と答えたのです。
剣士は再び尋ねました「ならご老僧、寝食を忘れて修行すれば何年で済みますか?」
それを聞いた老僧は「ほほう、益々いい心がけじゃ。そうよのう、寝食を忘れて求めたら、かれこれ三十年はかかろうのう」と答えたのです。
修業の期間が短くなると期待していた剣士にとって、その老僧の答は大いに不満です。
そこで剣士は、更に老僧に尋ねたのです。
「ならばご老僧、命を賭けて求めたらどうでしょうか?」
すると、老僧は「一生かかるわい!」と答えたのです。以上のようなお話でありますが、この逸話は「道」というものの性格を見事に言い表した、大変味わい深いお話だと思います。
「道」というものは、真剣に求めれば求めるほど、その心がけに比例して益々深くなってくるのだということがこのお話のポイントであります。
ところで、私たちは「剣の道」ではありませんが、誰もが歩んでいる道があります。
それは、申すまでもなく人生という道であります。この道は一度きりの道でありしかも、いつ終わってもおかしくない道でもあります。
それだけに、大変かけがえのない、大切な道であります。
この人生という道も、先程の「剣の道」と同じように、その人の心がけ次第で、深くも浅くもなります。安易にこの人生を渡ろうとする者には、その道の深さに気付かないかもしれません。
しかし、真剣に歩ゆもうとする者には、この人生という道はまことに深いものだということに気付かされます。
親鷺聖人は、この人生を「難度海(なんどかい)」とたとえられました。
すなわち、この人生は自分の力だけでは、到底渡り切ることの出来ないほど、果てしない海のようなものだとおっしゃています。
ところが、私たちはともすれば、自分の力でこの人生を渡ることができると、安易に考えがちなのです。
時折「人生とはこんなものだ」と、さも道を極めたようなことを言う御仁を見かけることがあります。
しかし、なかなかそうはいかないのがお互いの現実ではないでしょうか。
たとえば、思い通りにならないことや思いがけないことに出くわすと、「あれが悪い」「これが悪い」と他に責任を押しつけたり、或はそこから逃げ出してしまう、というようなことがあります。
また或は、その時の状況に流されて「してはならないことをしたり」「言ってはならないことを言ったり」「思ってはいけないことを思ったり」といったこともあります。
そんな私たちの在り方を親愛聖人は「さるべき業縁のもようさば、いかなるふるまいもすべし」とおっしゃっています。
「状況次第で何をしでかすかわからないのが私たち人間なんだよ」とおっしゃっているのです。
確かに私たちは、普段何もない時は、立派そうなことを言ったり、立派そうに振る舞ったり出来るのですが、いざ状況が変わると何をしでかすやもわからない。それが私たちの本当の姿だと思います。
そして、そんな状況に出会う度に、私たちは、わが身の弱さやお粗末さ加減というものを知らされていくのです。
特に、この人生を真剣に歩んでいこうとする者ほど、それは深い傷みとなって受け止められていくのです。
まさに親鷺聖人がおっしゃる通り、この人生は「難度海」なのです。
そんな弱い、お粗末な私たちが、この人生という果てしもない海を渡り切るにはどうすればいいのでしょうか。
それは、人生の目的地を正しく示す羅針盤に出会うということだと私は思います。
親鷺聖人は「その羅針盤こそお念仏のみ教えであり、その羅針盤を積んだ船こそが南無阿弥陀仏の船なのですよ」と私たちにお示し下さったのです。
「生死(しょうじ)の苦海ほとりなし/久しく沈めるわれらをば/弥陀弘誓(みだぐぜい)の船のみぞ/のせてかならずわたしける」と親愛聖人はうたわれました。
聖人は、この「難度海」と呼ばれる人生を、お念仏のみ教えという羅針盤に導かれ、「安心せよ、必ず救うぞ」という南無阿弥陀仏の船に乗せられて見事に渡り切っていかれました。
それは生と死を超えた、深い喜びの人生でした。出来得ることなら、私たちも、そのような人生を歩ませて頂きたいものだと思います。
そして、そのための「羅針盤」と「船」は、すでに私のために用意されているのです。
南無阿弥陀仏・南無阿弥陀仏合掌
|