「種まき人生」
最近、ある放送局が自社のキャッチフレーズに「種まき宣言」という言葉を使っているのをよく耳にします。
これは、「誰からも愛される素晴しい放送局という花を咲かすために、まずはその種を撒いていこう」という放送局の姿勢を言葉にしたものだと思いますが、この言葉を聞くたびに「なかなか良い発想だなー」と感心しています。
私のお寺では、近年「光明寺だより」という新聞を発行したり、テレフォン法話やホームページを開設したり、あるいは法話会やコンサートを開くなど、さまざまな行事を実施していますが、これらも言ってみれば、親しまれるお寺、本来あるべきお寺という花を咲かすためにまいている種だと言えるでしょう。
時折、「光明寺だよりをいつも興味深く読んでいます」と言って頂いたり、あるいはご門徒のお家の仏壇が浄十真宗らしいお飾りになっているのを見かけると、まいた種からわずかながら芽が出始めたのかなと、本当に嬉しく思います。
何をするにもそうでしょうが、花を咲かそうと思えば、まず種をまかねばなりませんたとえば、目指す大学に合格するために受験勉強をしますが、これは合格という花を咲かすために受験勉強という種をまいていると言えます。
あるいは、親が懸命に子育てをしますが、これも我が子が立派な人間という花を咲かすためにまいている種です。
時には昨夜、飲みすぎたという種をまいたために、今朝頭が痛いというあまり嬉しくない花を咲かすこともあります。
こうしてみますと、私たちの人生はすべて「種をまいて花を咲かす」という道理によって動いているということがよく分かります。
これを仏教では「因果の道理」と言います。もちろん、まいた種がいつも素晴しい花を咲かすとは限りません。そうでない時もあればまったく花を咲かさないということもあります。
しかし、自分でまいた種である以上、どんな花になろうとも、それを引き受けて生きていくという覚悟がなければなりません。
私たちは、よく思い通りにならないことや不都合なことが起きると、「あいつがあんなことを言うからだ」とか「あんな余計なことするからだ」と、すぐに他人のせいにしてしまいますが、これは因果の道理から言えば、見当違いな見方だと言えます。
我が身の上に起こることは、すべて自分のまいた種だと受けとめていくのが因果の道理ですから、どんな時でも、決して言い訳をせず、他人のせいにせず、すべて自分で背負い、わが責任において果たしていくということがなければなりません。
このように因果の道理は私たちに、この人生の厳しさを教えてくれると同時に、「私の人生に何が起ころうとも、すべて背負って生きていきます」という誠にたくましい生き方を教えてくれるのです。
また、この因果の道理で大事なことは、まいた種が花を咲かすためにはどうしても「縁」の助けが要るということです。
いくら立派な種であっても、種自身の力だけでは花は咲きません。
花を咲かすためには、その種を十に埋め、肥料や水をやり、空気に触れ、太陽の光を浴びなければなりません。
その土や水や太陽といったものが縁と呼ばれるものです。
この縁はどれ一つ欠けても花は咲きません。
それを仏教では「諸法因縁生、縁欠不生」と言います。
そこで、咲いた花の立場を考えて見ますと、こうして花を咲かすことが出来たのは、水のおかげだ、土のおかげだ、太陽のおかげだなと、この縁を「おかげさま」と受け取ることが出来ると思います。
これは私たちの人生も同じことが言えます。「あなたの人生にどんな花が咲こうとも、すべておかげさまと頂きなさい」ということを教えているのです。
そのようなことを詠った歌があります。「この秋は雨か風かは知らねども、今日のつとめに田草とるなり」という歌です。
歌の意味は、「今年の秋はひょっとして台風や大雨に見舞われ、今育てている稲が十分実らないかもしれないが、今は唯々稲の成長のために田草をとっている」ということでしょう。
この歌の作者は、実りの秋という花を咲かすために、今、田草をとるという種をまいているのですが、「この秋は雨か風かは知らねども」と歌っているように、実りの秋を迎えられるかどうかは「縁次第」だと受け止めています。
もし、順調に実りの秋を迎えることが出来た時は「縁のおかげだったな」とそのご縁を喜び、万一台風や大雨に見舞われ、不作の秋になった時は、「いかに努力をしても縁の助けがなければ何にもならないんだな」とあらためて縁の大切さに思いをいたす。
すべてがおかげさまの世界の出来事だと受け止めています。
こうしてみますと、因果の道理で動いている私たちの人生には二つの大事なことが示されていると思います。
その一つは「私の人生に何が起ころうとも、すべて我が身に背負っていきます」ということです。
そして今一つは、「私の人生に何が起ころうともすべておかげさま」と受け取っていくということです。
ともすれば、よいことは自分の手柄、悪いことは他人のせいにしてしまう私たちですが、そうではなく、よいことはおかげさま、悪いことは自分の責任と頂いていく。それがこの人生を歩む上で忘れてはならないことです。
かく言う私も、そのことを深く踏まえて、お念仏の花の咲くお寺を目指して、これからも種をまいていきたいと思っています。
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