「万山薬草」
お釈迦さまに深く帰依した在家信者に、蓄婆という優れた医者がおりました。
彼がまだ若かりし頃、お釈迦さまに、次のように尋ねるのです。
「お釈迦さま、私は将来医者になりたいと思っていますが、どのような勉強をすればいいでしょうか」
すると、お釈迦さまは、前方に広がる山を指差して、
「耆婆よ、医者になりたいのであれば、この山には多くの草が生えているが、薬にならない草を探してきなさい」
と、命じたのです。
大変な難題を与えられた耆婆は、お釈迦さまの仰せに従って、その山に分け入り、薬にならない草を懸命に探し求めたのです。
幾日も幾日も山野を駆け巡った耆婆は、再びお釈迦さまのもとに帰ってきました。
「どうだ耆婆、薬にならない草は見つかったか」
こう尋ねるお釈迦さまに耆婆は、
「万山薬草です」と答えたのです。
すなわち、山全体が薬草だと言うのです。
これは、「薬にならない草はない、どんな草でも薬になる」ということです。
これを聞いたお釈迦さまは、にっこり笑って、
「よくぞそのことに気が付いた。お前は必ず立派な医者になるであろう」
とおっしゃられたということです。
耆婆はその後、本格的な医学の勉強を始め、ついには古代ギリシャのヒポクラテスと並び称されるほどの名医となり、終生お釈迦さまの侍医として、またマガタ国の大臣として、見事な生涯を送られました。
特に、耆婆の医療技術はまことにすばらしく、脳の外科手術や腹部の切開手術など、現代医学にも劣らない高度な治療を施したことが、詳しく仏典で紹介されています。
以上のようなお話ですが、この逸話は、私たちに「人生の智慧」というものを、教えて下さっています。
耆婆が答えた「万山薬草」ということは、そのまま「人生薬草」と味わうことが出来ると思います。すなわち、「私の人生全体が薬草である」と受け止めていくのです。
そうすれば、「私の人生に起こるありとあらゆる事が、文字通り、私を成長せしめるための薬なんだ」と頂くことが出来るのです。
そうです。あの人もこの人も、あんな事もこんな事も、敵も見方も、順境も逆境も、何もかもが、私にとってなくてはならないものばかりだったのです。
まさに、「万山薬草」は「人生薬草」だったのです。
このような「人生の智慧」は、お念仏の人生に相通じるものがあります。
親鷺聖人は「念仏者は無碍の一道なり」とおっしゃっています。
すなわち「お念仏に生きる人の人生には障害がなくなる」ということですが、これは、「いかなる障害に出くわしても、念仏者はそれを障害と思わない人生を歩むことが出来る」ということです。
この念仏者の智慧こそ、まさしくこの人生を「万山薬草」と受け止めていくことによって生まれてきたものです。
お念仏のみ教えを深く了解され、生涯、親鸞聖人を敬愛して止まなかった方に吉川英治という小説家がいます。
氏は、生前よく「我以外皆我師也」という言葉を色紙などに書いていたそうです。
言葉の意味は「私以外はみんな私の先生である」ということですが、ここにも「万山薬草」の精神が流れていると思います。
また、京都女子大の創設者であり、念仏者として多くの人々に深い影響を与えた甲斐和里子女史は、念仏者の人生を川の流れに誓えて、次のような歌を残されています。
──岩もあり 木の根もあれど さらさらと たださらさらと 水の流るる──
川の水は岩や木の根っこなどの障害があっても、決してそれらを障害とせずに、川上から川下へ自在に流れていきます。しかも、川はその障害を避けようとするのでもなく、また反対に突っ張ることもなく淡々と流れていきます。
念仏者の人生もまことにこの風情である、という歌であります。
ともすれば、障害に出会う度に「これさえなけりゃ一」と、ついつい愚痴をこぼしてしまう私達です。
そんな愚かしい日暮らしを続ける私たちに、一番求められていることは「万山薬草」の心だと思います。
大変困難なことだとは思いますが、そうした人生の智慧を身につけることが出来れば、「これさえなけりゃー」という愚痴の人生が、「これあればこそ」という喜びの人生に転じられていくのです。
一度きりの人生を、生まれた甲斐のある、生きた価値のあるものにしていくためにも、今回の逸話は忘れてはならないものだと思います。
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