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「しあわせのかくしあじ」 著者は、かとうみちこさんという方で、ご自身の半生を記した感動の記録です。 かとうさんは、昭和24年、埼玉県鳩ヶ谷市の裕福な農家の末娘として生を受けられ、幼い頃は男子顔負けの大変活発な少女だったそうです。 ところが、思春期を向かえダイエットを始めたことが原因で薬中毒になり、その後過食症さらに拒食症を患い、16歳の時「無腐性壊死」という難病に襲われるのです。 この病気は、血行障害によって細胞が死に、骨が腐っていくという大変恐ろしい病気です。 そのため、かとうさんは20歳の時、体重が22キロ、血圧が上が60、下が30という生命の危険にさらされるのですが、大量の輸血とステロイドによって、何とか一命を取りとめます。 しかし、病気の影響で、髪の毛や爪や歯がボロボロと抜け落ち、22歳の時にはとうとう総入れ歯になってしまい、その容貌はまるで70歳の老婆のようであったそうです。 その頃のかとうさんは、生きる気力も失い、病を呪い、運命を呪い、両親を責め、まさに地獄のような日暮らしを続けていました。 しかし、その病気も少しずつ治まりかけた28歳の時、友人に誘われ、「東京情勢判断学会」主催のパーティーに出向くのです。 そこで、彼女は友人からその会の主宰者である城野宏(1913〜1985)さんという方を紹介されるのです。 この城野さんとの出会いが、彼女にとって人生の大きな転機になるのです。 かとうさんの病状について、彼女の友達からおおよそのことを聞かされていた城野さんは、会場の片隅で一人うつむいていた彼女に近づき、こう言うのです。 「目は見えるの?」 「あ!はい見えます」 「耳は聞こえるの?」 「き、聞こえます」 「言葉はちゃんとしゃべれるの?」 「はい」 突然の質問に戸惑いながら、うなずく彼女に、城野さんは続けて言うのです。 「両手を閉じたり開いたりしてごらん」 彼女は言われた通りに、手を閉じたり開いたりすると、 「なーんだ、手もちゃんと動くじゃないか。心配いらないよ、君の身体の90%は正常だよ!」 この一言が、長い間、暗闇の中をさまよっていた彼女を救ったのです。 彼女の目から止め処もなく涙が溢れ、あとは言葉になりません。 彼女はトイレに駆け込み、鏡に写る自分の姿をしっかりと見つめました。 「あっ、本当だ!手も足も動くじゃない。目も見えるし、耳も聞こえる。言葉だってちゃんとしゃべれる。そうなんだ、私の身体は90%も正常なんだ」 これは彼女にとって大変な発見だったのです。 それまでの彼女は、正常な90%を見ないで、病んでいる10%だけ見て、自分ほど不幸な者はいないと決めつけていたのです。 そうじゃなかったのです。 「病んでいる10%を見て悲しむのではなく、正常な90%を見てしっかりと生きていくんだよ」と、城野さんに教えてもらったのです。 こうして城野さんの言葉に救われたかとうさんは、司会業やナレーターの仕事をしながら何事にも前向きに生きていくのですが、そのことがTVやラジオで紹介され、多くの人々の知るところとなりました。 今は司会業を続けながら学校関係や福祉関係、ボランティア団体などでの講演活動を始め、詩集や著書の出版物を通して、多くの人々に生きる勇気と感動を与え続けています。 彼女が28歳の時に作った、「しあわせのかくしあじ」という詩をご紹介します。
からいお塩は おいしい おしるこのかくしあじ からい くるしみ かなしみ そして わかれ みいんな しあわせのかくしあじ ひとふり ふたふり ほら! しあわせが とっても おいしくなったでしょ……
以上のような詩です。 この詩にはお念仏のみ教えに相通じるものがあります。 親鸞聖人のご和讃に、 罪障功徳の体となる こほりとみづのごとくにて こほりおほきにみづおほし さはりおほきに徳おほし というのがあります。 意訳しますと、苦しみや悲しみ(罪障)は幸せ(功徳)の元です。それは氷と水の関係のようなもので、氷が大きければ大きいほど、それだけ水が多いように、苦しみや悲しみ(罪障)が多ければ多いほど、幸せ(功徳)も大きくなるのです、と私は味わっていますが、この親鸞聖人のご和讃さんを現代風に書き改めると、かとうさんの詩のようになるのではないでしょうか。 そうして、かとうさんは著書の最後に、自らの半生を振り返って次のように語っています。 「大いなる何ものかに生かされ、仕組まれ、すでに何もかも用意されていたのですね。なあんにも心配いらなかったんだ。これ以上も、これ以下でもない、ありのままの自分を、前向きに、いちずに歩む。あとはおまかせすればいい・・・」 まさにその通りだと思います。 私たちが今ここに生きているのは、「すでに生きられるように用意された世界」で生きているのです。 その「すでに用意された世界」を浄土真宗では「大悲の世界」と言うのです。 この世界には、私を生かそうとする大いなる願いが働いているのです。 その事実に目覚める時、私たちは、かけがえのないこの「いのち」を精一杯輝かせながら、深い安らぎのある人生を歩んでいくことが出来るのだと思います。
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