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「人生劇場の楽屋」 H21.8放送
「楽屋はあるのでしょうか」と題した次のような詩があります。
―楽屋はあるのでしょうかー 寺島キヨコ
楽屋があって
ごくろうさん と言って
もらえればいいのに
悪い役をかった人も
いい役をかった人も
ともに
ごくろうさん と言って
もらえる場所があればいいのに
すてきな名優がよって
すてきな芝居をしているのだったら
いい役も悪い役も
かすが 残らないのだったら
いいのに
舞台が終わって楽屋に戻れば、悪役も善人役も、お互いに「ご苦労さん」、「お疲れさん」
と言葉をかけあいます。
役が終われば善人も悪人もいません。
ちなみに、水戸黄門の舞台の楽屋を覗いて見ますと、、、、
悪代官「いやー、今日は暑いですなー。黄門さん、ビールでも一杯どうですか」
黄門さま「ほぉー、そりゃーいいですなぁ。ウワッハッハッハ・・」
こんな楽しい光景が繰り広げられているかもしれませんね。
上掲の詩の作者は、そうした舞台の楽屋にことよせて、実生活で良い役を与えられた人も、悪役に回った人も、人生が終われば「ご苦労さま」とその労をねぎらってくれる、そんな楽屋があって欲しいと願っています。
思えば、私たちは人生劇場という舞台で、さまざまな役を演じてきました。
この私は、檀家さんの前では「光明寺住職」という役を仰せつかっています。また、家庭内にあっては「夫、父親、祖父」の役を与えられています。いずれ、病人の役、死んでいく役も引き受けなければならないでしょう。
清沢満之先生は「如来は汝がために必要なるものを、汝に賦与したるにあらずや」と仰っています。
つまり、この人生劇場で私たちに与えられた役は、私にとって必要だから与えられているのです。
そうであるならば、その役を素直にいただき、その役に徹することが、私たちにとって何より大事なことだと思います。
そうして、どんな役を与えられたとしても、この人生劇場の役が終われば、「長々、お役ご苦労さん。また逢えてよかったですね」と言える、心温まる楽屋が用意されているのです。
その人生劇場の楽屋こそ「お浄土」という世界なのです。
まさに、「倶会一所」(ともに一所で会う)、「凡聖逆謗斉回入」(あらゆる人々を斉しく摂めとる)の世界であります。
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