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「ものみな金色なり」 H24.03
阿弥陀さまの願の一つに「悉皆金色(しっかいこんじき)の願」というのがあります。
これは阿弥陀さまのさとりの世界である浄土では、すべての「いのち」が金色に光り輝いており、一つとして輝いていない「いのち」はない、一つとして無駄な「いのち」はない、と誓って下さっているのです。
つまり、仏さまの目から見れば、すべてのいのちは本来金色に輝いており、すべてのいのちは平等である、ということです。
ところで、長年、京都女子大学で仏教学を教えてこられた徳永道雄先生(京都女子大学名誉教授)は、一年間の最後の授業で、このような阿弥陀さまの願いの心を説明され、学生さんたちに、「すべてのいのちは、いついかなる時でも金色に輝いている」という意を込めて、「ものみな金色なり」と、ノート一面に大きな字で書かせ、この言葉を社会に出て行く彼女たちへの「はなむけの言葉」とされていました。
ある時、教え子の一人から、「この言葉によって救われました」というお礼の手紙が先生の所に寄せられました。
その教え子というのは、卒業後、結婚され、やがて待望の赤ちゃんに恵まれますが、そのお子さんは生まれながらにして重い障害を抱えていたのです。
最初は二人で頑張って育てていましたが、次第に夫婦仲もこじれ、二人は別れることになりました。
お子さんと二人暮らしになった彼女は、一生懸命頑張りました。
しかし障害者への世間の目は冷たく、時には心ないことを言われることもありました。
彼女はほとほと疲れてしまい、とうとう「もうだめだ。この子と二人で死ぬしかない」とまで思い詰めるのです。
呆然としたまま身辺整理をしていたところ、たまたま大学時代のノートが目に付き、何気なくペラペラとめくってみると、ノートいっぱいに「ものみな金色なり」と書かれた文字が眼に飛び込んで来たのです。
その言葉は絶望の淵に沈んでいた彼女の心に深く染み入りました。そうして、あの時、聞いた徳永先生の「いついかなる時でも、いのちはみんな金色に輝いている」という言葉が鮮やかに脳裏に蘇えったのです。
「そうだった、そうだった。障害を持って生まれた我が子のいのちは、金色に耀く尊いいのちであった。この子は今、そのいのちを精一杯輝かせて懸命に生きているんだ」
彼女は大粒の涙を流しながら、我が子を強く強く抱きしめました。
思えば、私たち人間は、さまざまな経験や知識を通して自分なりの「ものさし(価値観)」というものを確立してきました。
しかし残念ながら、その「ものさし(価値観)」は、自分にとって都合の良いものを「よし」とし、そうでないもの排除するという、身勝手な「ものさし」です。
当然、「いのち」も同じように、自分にとって都合の良い「いのち」と、都合の悪い「いのち」に分け、その上で…たとえば害虫や雑草を駆除するように、都合の悪い「いのち」を排除していくのです。
そうしなければ生きていけないからです。
この若いお母さんも、知らず知らずのうちにそうした「ものさし(価値観)」で我が子を見ていたのです。
悲しいことですが、私たち人間はこの「ものさし」を生涯、捨てることは出来ません。
いつでもどんな時でも、このものさしを使って、ものを考え、判断し、行動しているのです。
ですから、そのようなものさしを持たずにおれない、そうして持つことによって周りを傷つけずにはおれない、そんな人間の愚かさ、悲しさに目覚めるには、どうしても、「ものさし」のいらない世界からの働きかけが要るのです。
浄土真宗では、この「ものさし」のいらない世界を浄土(阿弥陀さまのさとりの世界)と申しているのです。
彼女は「ものみな金色なり」という言葉によって、自らの間違いに気づきましたが、これは、まさに「ものさしのいらない世界」(浄土の世界)からの働きかけによるものです。
障害を抱えたこのお子さんは、無量壽と呼ばれる浄土の世界から、彼女のところに生まれて下さった仏さまだったのです。
ともすれば私たちは、自分の願いをかなえてほしいと仏さまに願いをかけますが、そうではなくて、阿弥陀さまから、私にかけられている願いに気づいて、それを拠りどころにして生きていくということが最も大切なことです。
「ものみな金色なり」と願われた阿弥陀さまの願い……それは「この世界に存在するすべてのいのちはあなたにとって、なくてはならないものです。ものみな仏さまなのですよ。だからそのようにいただいてこの人生を精一杯歩んでくださいね」という大悲のお心なのです。
今、改めて周りを見渡せば、あの人もこの人も、すでに先立ったあの方もみんなみんな私にとって、なくてはならない仏さまだったのです。
まさにこの世界は、「ものみな金色」であります。
(参考文)
悉皆金色の願
〔経 文〕設我得仏国中人天不悉真金色者不取正覚
〔読み下し〕たとひ、われ仏を得たらんに、国中の人・天、悉く真金色ならずば、正覚を取らじ
〔意 訳〕私が仏になるとき、私の国の人々がすべて金色に輝く身となることが出来ないようなら、私は決してさとりを開きません。
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